治療という営み。の2
さて、「治療」について考えるにあたり、「医の起源」についてのものがたりをつづってみました。
古代から時代が下り五感の世界が切り出され確立されていく中で印知感覚が失われていきました。これはヒトの感覚系、信号系におけるできごとですが、運動系の方に変化はなかったでしょうか。
鹿児島で始原東洋医学を学ぶうちに、僕は自分の体の硬さが印知感覚にしたがった治療をするうえで邪魔になっていると感じるようになっていきました。また、患者さんでも体の硬い人は自覚症状の変化が鈍いようでした。
そこで「脱力」をテーマにした運動を自己流で試し、赤ちゃんのような体の柔らかさが理想だと考えるようになりました。ただそれ以上にはこの運動の探求を続けなかったので、後に松本先生のナチュラリゼーションに出会ったときは、
「これだ!」
という衝撃を受けました。
感覚系と運動系のそれぞれに、文明が進むうちに人類が忘れてしまった要素があるのだと思います。
印知感覚とナチュラルな体の動き。
これらを取り戻すことは、人類が生物としての本来の力を取り戻すことにつながるのではないでしょうか。
この豊かな底力に支えられたヒトビトの中で、他者を思いやり、その回復を願う営み。
そんな治療をおこないたい。
そのためにも、今日も自分に底力をたくわえるのです。
0コメント