治療という営み。の1
始原東洋医学の一説に、「医療の起源と古典の成立」についての考察があります。
有川先生は仮説と言うよりも、ひとつの物語として表現されていました。ここから語る内容は、気の流れを感じる「印知感覚」があるという前提に立っていることをお断りしておきます。
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人類が文字を持つよりもずっと以前の時代。
生物は五感と印知感覚をあらゆる場面で使って生きていました。
ヒトは天敵や過酷な環境から生き延びるために、個ではなく集団で生活することを選びました。
群れを存続させるためには、仲間との協力が欠かせません。こうしてお互いを思いやる気持ち、いたわりの気持ちが生まれました。仲間が病にたおれ、あるいは傷ついたときにはその回復を願い、いろいろな行為をおこなうようになりました。
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祈り、占い、儀式をおこなう。
手を当て、さする。
温め、冷やす。
皮膚に傷をつけ刺激をする。
動植物や鉱物を身につけさせたり飲ませたりする。
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これらの中で効果があったものは、言語の誕生とともに「記憶」され伝えられるようになりました。
印知感覚を背景にした、気の「医療の起源」です。
印知感覚で得た情報は、元気な個体と不調の個体の違いを判断するのに役立ち、「気の治療」として洗練されていきました。
群れの中で特に印知感覚にすぐれた個体は真の治療者となり、不調な仲間の回復に役立つ治療手段を編み出すことができました。真の治療者が不在になることに備え、群れでは彼らが生み出した治療法を記憶し、さらに文字の発明後、「記録」として残されるようになりました。
ただ、言語や文字は「印知感覚」を伝えるのには適していませんでした。それでも皆が印知感覚を持っていた時代はそれほど問題にならなかったのです。
文明が目覚ましく発展していく中でヒトは五感で切り出した世界を構築していきました。
生活の中心は五感の世界になり、人々から印知感覚は「特殊な感覚」として消えつつあ
りました。
こうした中、受け継がれてきた治療法を個人技ではなく広く普及させる試み、「医学」の形成が進んでいきました。
「印知感覚のレベルによらず」伝えられてきた気の治療法から、印知感覚が抜け落ち、当時の最新のテキスト、現代における古典ができあがったのです。
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上述のことから、古典を読む前に、その背景にあった印知感覚を再獲得する必要があると、始原東洋医学では考えています。
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