こんな流れで鍼灸師に。の3
鹿児島時代:有川医院黄金の修行期
理想と現実の違いを突きつけられて挫折感を味わう、という誰にでも一度はありそうな、それでも当時の僕にとっての一大事を経て舞台は鹿児島に移る。
鍼灸大同期の加藤淳先生の紹介で、鹿児島市の有川貞清先生に師事させていただけることになったのだ。
有川先生は内科医で、「潜象界からの診療」というテキストを書かれていた。
(はじめは「潜象界からの診療」や「有川式」と呼ばれていて、治療法の名称が定まっていなかった。版を重ねてきた最終加筆改訂版において、書名を「始原東洋医学~潜象界からの診療」と改めた。)
実は僕は学生時代にこの本を読んでいた。内容は理解できなかったものの、
(この治療法が自分には必要だ)
と思えた。
「始原東洋医学」との出会い。
このときが、鍼灸師としてのターニングポイントだったのかもしれない。
有川医院での研修期間で心に残っている出来事を一つあげるなら、
「東洋医学医学の古典はねぇ、嘘だよ」
と最初に言われたことだ。
誤解のないように説明すると、
「これから学ぶのは今まで覚えてきた知識では到底判断できないことなので、先入観で思考の枠を限定しないように」
という強烈な戒めであった。
実際に見学した有川先生の治療は、何をしているのかさっぱり分からなかった。
ただ、患者の状態はその場で変わった。
例えば、足を引きずってきた患者は、頭に数本の鍼を刺した数分後、階段を上がれるようになった。
ぜんそくで息をするたびにヒューヒューいっていた患者は生薬サンプルの入った試験管を数本握っていただけで呼吸が落ち着いた。
鍼の即効性。
僕には分からない漢方薬の処方。
そういうことが本当に目の前で起こった。
患者の症状が変わるとき、有川先生は、
「今、どうですか」
とたずねた。または、
「今、歩いてみてください」
と言った。結果は前述のとおり。
「有川先生には、患者の状態の変わる瞬間が分かるんだな」
これはベテランの鍼灸師でもなかなかできないことだと思った。
そして、これは同時に、治療のやめ時が分かる、ということでもある。
その決め手になる「何か」が知りたい、と思った。
まったく分からない世界の治療法を勉強しようと思えたのは、僕より2年早く有川先生に師事していた加藤淳先生の存在によるところが大きい。
加藤先生から、
「確かに有川先生のなさっていることは理解できないけれども、それは現時点での僕たちが未熟だからであって、きっととんでもなくすごいことをされているんだ」
「今は分からなくても、この勉強を止めることなく続けていけばいつかは何か分かるかもしれない。分かるようになりたい」
「今までの東洋医学の常識を捨てるといっても、自分たちはまだまだ駆け出しなんだから、むしろ早く気付けて良かったと思うべき」
「まあ、『飽きず』、『焦らず』、『諦めず』の『3つのあ』でやっていこう」
と引っ張ってもらった。僕にとって、飛び込んだ未知の海原に灯台を得たような言葉だった。「一人ではなかった」ことに、本当に助けられた。
加藤先生とは、「経絡図譜」を共著させていただくことになる。
あの本を書くきっかけとなったのは、やはり有川先生だった。
鹿児島での始原東洋医学の鍼灸研修を続けるうち、加藤先生が治療中の患者や健康な人に鍼を打ったときに現れる[経絡]を写真に撮りためていた資料を、有川先生に見てもらうのならもっと見やすく整理した方がいいということになった。
研修されている先生方は他にも数人おられたが、皆仕事を持っていて忙しい。
そこで、ちょうど鹿児島に移ったばかりで日中はアルバイトの僕が勉強を兼ねて手伝った。京都時代の卒後研修で、パソコンでのそういった整理作業に慣れていたからでもある。
それがある程度の量になり、まとめ直した写真を有川先生に見ていただいたところ、
「この実験をもっと数多くやって、まとめたものを出版しよう」
という計画になった。出版計画は3年の期間を経て実現した。
3年がかりの実験というと大がかりなものに思えるが、結果的にそれだけの時間がかかったという方が正しい。
初期の参加者は僕と加藤先生、先輩の内田先生の3人。
けれども報告を聞いた有川先生が、
「せっかく[切診]の練習になるのにもったいない。もっと大勢でやりなさい」
とアドバイスしてくれたことで徐々に増え、最終的には10人を超える人数で[経絡]を追いかけることになる。
これは最高の経験だった。
この出版計画がなかったら、僕は鍼灸治療をしていなかっただろうと思う。
鹿児島時代の、まさに黄金期だった。
後に出版記念の食事会が催されたときの、有川先生の言葉が印象に残っている。
「この本が出版されて、一番嬉しいのは僕です」
「この診療方法は僕一代で消えるものだと思っていた」
「それでも勉強したいと言ってくれる人が増えてきて、加藤君と飯泉君が膨大な時間をかけて、この[印知感覚]で[経絡]を追いかける実験をして、その結果がまとめられて本になりました」
「この本ができたことで、この感覚が人類から失われても、いつか『この本に[経絡]を追いかけたと書いてあるけど、本当だろうか?』と思って、中に書いてある練習法をして追試する人が出てこられるようになった」
「これで、この潜象界からの診療法、始原東洋医学が、消え去ってしまうことはありません」
「ここに、事実があるから」
「そういうことで、僕は嬉しい」
先生も喜んでくださったということが、単純に嬉しかった。
あとはどんどん、自分の感覚を磨いてこの治療法を身につけていくことだと思った。一生かけて。
僕の鍼灸の原点は「鹿児島」になった。
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