こんな流れで鍼灸師に。の2
京都時代:迷走鍼灸大
鍼灸師の国家資格をとるためには、養成施設に通う必要がある。
専門学校はたくさんあったが、4年制大学は当時日本に1校だけだった。
明治鍼灸大学(現:明治国際医療大学)。
1回生の間は教養科目や現代医学の基礎科目が多く、2回生になると東洋医学系の基礎科目、実習が始まる。
国家試験は3年目の2月に行われるため、3回生になると試験対策授業が増えた。
この間、入学前に思い描いていた鍼灸=東洋医学のイメージとはずいぶん違うなと感じた。
現代医学寄りの授業が多く、東洋医学の比重が少なかったからだ。
教員の先生方が見せる実技や治療内容も、東洋医学で効果を上げるという方は少なかった。
そんな風に、大学で見た東洋医学の現実に入学前のモチベーションを揺さぶられながらも、国家試験にはなんとか合格することができた。
大学3回生で国家試験を受けるということは、4回生では資格を活かした講義が用意されているということ。
4回生は実習がメイン。大学付属の病院と、老人ホームでの鍼灸外来治療の実習だ。
免許取りたてのヒヨっ子に効果的な治療をしろというのは無理がある。
手ごたえなどなかった。
学生の実習という形ながら、その実、先生や先輩方の治療の見学が主だった。
カルテの記入や消耗品の補充などをしながら、実践で使われない東洋医学の現実を見た。
大学で見た、習った東洋医学は、国家試験に合格するための東洋医学理論だった。
進学前に思い描いていた鍼灸師像は崩れた。
卒業を間近に控え、同級生に合わせて一応は就職活動をした。
面接を受けたところは東京の鍼灸接骨院。
いわゆる「健康保険で患者の数を回すやり方」だった。
見学して「これは向いてない」と思い、お断わりさせていただいた。
鍼灸師の資格を取ったらすぐにでも働きたい、周りにはそういう声が多かったと思う。
健康保険取扱をよりしやすくするために、柔道整復師の資格を取る学校へ進んだ同期生もいた。 ただ、僕には合わなかった。
「これは理想と違う」との思いが強くなってしまい、もう2年かけて自分の気持ちを固めるため、卒後研修の道を選んだ。
卒後研修生は病院で鍼灸治療をするのだが、「病院」という場所では鍼灸治療を西洋医学的に、自然科学的に考察する色合いが強く、漠然と、「これも本来の鍼灸ではないな」と感じていた。
決定的だったのは、抗癌剤を使っていて吐き気を訴える末期癌の患者を担当させていただいたことだった。あらかじめ決められた鍼通電をするのだが、やはり効果がない。
(申し訳ない)
と思っていたら患者にも伝わってしまったのか、
「すぐには効かないでしょうけど、これからもよろしくね」
と言われてしまい、ショックを受けた。
「治療ってこんなことでいいんだろうか?」
「鍼灸ってこんなものなのか?」
このままでは、「私はこれを仕事にしています」と胸を張れる気がしなかった。
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