こんな流れで鍼灸師に。の4
茨城時代:帰還~震災まで
有川医院での研修を終え、鹿児島を離れる日が来た。
故郷茨城に戻った当初はのんびり近所の往診をしていたが、いよいよ所帯を持つこともあり、二人口の生計を立てるべく勤め先も探しはじめた。
1年が過ぎた春、つくば市に心療内科が新規開業した。
紫峰の森(しほうのもり)クリニック。
院長は漢方とインド伝統医学のアーユルヴェーダを学ばれた心療内科医で、併設する鍼灸治療施設のオープニングスタッフとして採用されたのだ。
鍼灸治療処「一休庵(いっきゅうあん)」。
和風の屋号なので、当時の僕は作務衣を着て治療していた。
心療内科で鍼灸治療を取り入れるのは珍しい。
僕も鍼灸治療をおこなう内科や整形外科医院があることは知っていたが、心療内科の患者に鍼灸がどこまで役立つかは分からなかった。
僕の在勤中、紫峰の森クリニックにはそこまで重篤な精神疾患患者は来院しなかった。
その中で鍼灸治療も受けた患者は、どちらかというと肉体的な要因による症状を持つ方が多かったと思う。
たとえば、精神的な緊張状態が続いて、肩こりから頭痛がきた方。
仕事の休みも取れず残業が長い間続き、慢性腰痛が取れない方。
転勤で移ってきた地域になじめず、著しく消耗して拒食症になった方など。
一休庵で「心身の関連」ということが人間にとっていかに大事かを体験した。
「心→体」の影響もあるが、「体→心」の影響もある。
双方からの改善アプローチを考える必要があり、そのためには人間同士のコミュニケーションが欠かせないと感じた。
2年間勤めた一休庵を辞し、開業を決意したきっかけは父の入院だ。
僕の実家は青果物店を営んでいるが、父が糖尿病の壊死のために右脚の切断手術をすることになってしまった。当然、それなりに長期の入院になるので、その間、家業の仕入れ担当者がいなくなってしまう。そこで、
「今手伝わないと、両親の帰るところがなくなる」
と思ったのだ。
幸いなことに、一休庵には僕同様、始原東洋医学を学んだ先生が後任として入ってくれたので、患者の引き継ぎも滞りなく済ませることができた。
それからしばらくは午前中は家業を手伝い、午後は往診専門の燕雀はりきゅう治療院という治療スタイルを続けた。
父が退院するためには自宅をバリアフリーにリフォームする必要があった。
まずは浴室のユニット化ということで家屋の壁を剥がし、元の浴室を解体。翌日に注文したユニットバスが搬入されるという日の昼下がり、あの地震が起きた。
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