有川貞清先生の軌跡①
▶不可思議な反応
有川先生が九州大医学部を卒業し、国立病院加治木療養所で外科の若手医師として現代医学の診療に当たっていた日のことです。
あるとき、たまたま教授や先輩医師たちが学会で不在の日があり、先生が一人で宿直することとなりました。
ちなみに、当時の病院設備は現代のものよりはるかに旧式だったため、手術、ことに夜間の緊急手術が行われる場合には、
「手術室の電源・室温の確保に、非常に長い時間がかかった」
といいます。
その晩、激しい腹痛を訴える急患が運ばれてきました。
先生は症状の強さ、問診で得た情報などから、この患者が重度の虫垂炎〔いわゆる盲腸炎〕で、しかも腹膜炎を併発している可能性があると診断しました。すみやかに開腹手術による虫垂切除を行わなければならない症例です。
先生は術前の処置として、患者の大腿部〔太もも〕への大量皮下注射を行いました。
現代では患者の手術中の脱水症状を防ぐため、静脈に針を留置して点滴〔輸液〕のルートを確保する術前処置がよく行われますが、このとき先生が行った処置は、
「手術中に必要な水分を、経静脈点滴ではなく皮下にあらかじめ注射しておき、その後徐々に吸収させる」
というものでした。ひらたく言えば、
「皮下に水分を貯めておいて、手術中に吸収させる」
という処置なのです。
さて、先生は病院スタッフを集め、ボイラー室に連絡を取って手術室を暖めさせ始めました。
その間に看護士が患者のもとへ行き、手術の説明をしました。すると、先程まで痛みを必死でこらえていた患者がケロッとした顔でこう言うではありませんか。
「もう痛くありません。手術しなくても平気です」
看護士から報告を受けた先生は、我が耳を疑いました。
(あれほど重度の虫垂炎患者が、処置らしい処置など受けていないのにもかかわらず、今は平気な顔をしている……)
それは普通の医学的常識では考えられない出来事だったからです。
(術前処置の大量皮下注射が虫垂炎の痛みをやわらげたのだろうか?いや、それは違うだろう。ならば自然に緩和されたのだろうか?いやいや、そんなに簡単な状態ではなかったはずだ。あれほどの炎症が自然に消えるわけがない。)
たとえ痛み自体が消えたとしても、腹腔内の状態は手術を要すると考えた先生は、患者を説得して手術室へと向かいました。果たして、開腹された患者の腹腔内には、腹膜炎による多量の膿が認められ、虫垂は大人の親指ほどの太さに腫れていたのです。
無事に手術を終えた先生をとらえていたもの、それは自らの執刀で手術を成功させた安堵感ではなく、術前に患者が見せた劇的な変化でした。
(あのとき痛みが消えたのはなぜだろう?)
しかし、術後の経過観察で、先生は再び我が常識を覆されることになるのです。
続きます→→→有川貞清先生の軌跡②
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